AmazonのKindleは書籍ではなく、読む権利を買っているというのは有名な話です。 最近ではSteamのゲームもそうであるということを明示するようになり、話題になりました。 普段何気なく利用しているこういった便利なサービスですが、時々意図せずBanされたであるとか、利用規約が急に変更されて苦い思いをした、といった話を聞きます。
明日いきなりGoogleがサービスの形態を都合のいいように変更したり、Appleのストアが高額な利用料を要求してきたらどうしますか?
私は最近、行政までもがスマートフォンを前提としたシステムの構築や半ば強制的な導入をしたり、 自身の情報のオーナシップ、もしくは管理する権利が必ずしも自身の手の届かない形でサービスが提供されていることに違和感を感じています。 なので、自身が管理権限を保持しておきたいデータについては、多少利便性を損なったとしても、基本的にそういったサービスを利用しない、もしくは間接的に利用することにしています。 (スマホはiOSとAndroidによる寡占であり、行政のような強制力のあるサービスがロックインされると他の選択肢が取れない、もしくはスマホを使わないという選択の自由がなくなる)
これはおそらくインターネットとそれに基づくサービスや製品の多くが大衆に広がり定着し、社会に深く浸透してきている結果なのだろうと思います。 それに伴って、利用者であるユーザーの権利や保障はどうなっているのか、といったより社会的な側面に意識が向くようになってきていると感じます。
「デジタルの皇帝たち」はこういった疑問に、ひとつの考察を提供してくれるものでした。
本書では、これまで近代国家が辿ってきた様々な社会や経済の課題と対策が、現代のデジタルプラットフォームの事例にどう当てはまるのかを見ながら、 デジタルプラットフォームがこれまで辿ってきた歴史と現在も抱える課題を検討しています。
所感
まずプラットフォームについての深い考察が非常に晴眼で、目から鱗でした。特にプラットフォームは「ルールの集合である」という視点は自分にとって、非常に斬新な視点でした。
プラットフォームの製品は、(中略)制度インフラ、つまりルールの集合体である。
…
ルールの市場では市場で大きなシェアを占めていることが提供者の放つ魅力として欠かせない部分となる。(p306)
そしてこれこそがプラットフォームの競争を阻害する要因となっていると説明されています。 特に個人利用者の視点では、プラットフォーム変えることはルールを変えることであり、どういう人とどういう約束でコミュニケーションをするかといったルールの束以上のものを捨てる必要があると。
これは転職における「社会資本」と同じだと感じました。
ITエンジニアの転職学 ー 年収1000万円、マネジメントで超えるか、スペシャリストで超えるか - connpass
というイベントで説明されていたものですが、転職によって失うものとして信頼や人脈、ドメイン知識などなどを「社会資本」として説明されていましたが、 会社を変更するとき、この資本が大きければ大きいほど転職のコストは大きくなるというものです。
プラットフォームにもこういった特性があって、ロックインされやすいということがわかりやすく説明されていると感じました。
インターネットの登場によってリバリタリアンが夢見たような自由革命が起きると信じられていましたが、実際にはそうではなかったということが多くの事例を通して丁寧に検証されているのが印象的でした。
実際にプラットフォームが提供しているのは、一定の秩序であり、そこには権力体系が存在していることが事例を通して丁寧に紹介されています。
シリコンバレーの技術者は、国家がすでに経験した多くのことをトライアルアンドエラーによって再発見しているという意味で、経済を再発明しただけだと言える。(中略)
その逆もまたしかりだ。国家が伝統的にやっていることというのは、ある意味、単なるテクノロジーである。(中略)
それゆえ、情報やコミュニケーション技術がつねにその根幹であることは変わならいのだ。(p293)
現在のプラットフォームの多くが辿ってきた歴史は、その理想がどのようなものであれ、これまで国家が体験してきた問題をトレースしているという主張には説得力がありました。
どの事例紹介も非常に興味深いのですが、中でもクリプトクラシーや中央計画経済は個人的に特に記憶に残っています。
ブロックチェーンが登場した際、最も革新的だった部分はシステムを分散し、中央に権力の介入が不要な形で信頼問題を解いていることが一番のポイントでした。
なので、どちらかというと自身のサービスにロックインして分断し、差を作ることで価値を創出する資本主義の営利企業が導入を検討していたり、プライベートブロックチェーンなどの検討がされている狙いが私にはよくわかりませんでした。 営利企業がその信頼を担保するのであれば、あのような複雑な仕組みはそもそも不要で、もっと効率的に作ることができるはずなのではないか。 しかも莫大な電力を無駄な計算に利用していることがしばしば問題視されていたので、効果が曖昧であるならむしろ害ですらある可能性のある代物だという認識でした。
本書では、結局その実験は失敗し、完全に分散したシステムでの信頼問題の解決はできなかったということが説明されています。
すると、もはや今あるビットコインや暗号通貨の価値はどこにあるのだろう?という疑問が湧いてきます。 通貨の信頼の寄り所が国家か企業かという違いしかないのであれば、本書の主張によれば統治が未熟な企業より国家の方がまだよいのではないかという気がしますが。。。
また中央計画経済も効率の面では実用性があったこと、当時の情報技術では実装しきれなかったことが説明されていました。
一方で、やはりここでも権力の分散が課題になります。
データは21世紀の油田と言われるようにデータドリブンでサービスコントロールをするのは既に日常になっています。 あるプラットフォームやサービスの中での活動はおよそトレースされていて、その内容に応じてルール改訂や活動の誘導が実施されるという意味では既に実現されています。 本書では、その計画を制御する権利が民主的に分散されているかどうか、が課題であると指摘しており、上記のとおり独裁的であるという認識です。
これがより広範囲で、半ば強制的に生活に浸透してくるとなると驚異を感じてしまいます。 計画の権利の分散や、そもそものデータの集約に対する個人の権利について、もっと議論されるべきではないかと思います。 利便性だけに注目し、そういった権利や権力のあり方についてあまり議論されず、拙速に事を進めることにはいささか危険を感じます。
では、インターネットやデジタルプラットフォームがもたらしたものは何だったのか?
本書によれば、プラットフォームがもたらしたものは、公権力のいらない世界ではなく、既存の制度的境界を超えた市場の構築であったと述懐しています。
交通やコミュニケーションの技術が向上するにつれて、人間によって引かれた制度的境界線は、しだいに貿易や雇用を妨げる大きな障害物となっていった。(p297)
これを成し得た理由のひとつには、 プラットフォーム企業には、公平な手続きを必ず踏む義務がないこと(p295)
が影響しているだろうと主張しています。
すなわち プラットフォームの政治的制度の問題と説明責任の欠如(p295)
が本書の指摘する課題であり、自分の感じている違和感に対するひとつの言語化であると思いました。
その創業者の社会的な意図に寄らず、営利企業である以上企業は「資本を拡大する」という原初の目的から逸脱することはできません。
結局は、彼らは市場のシェアと利益のために他者と競いあう、利益追求企業である。 主な関心事といえば、事業を拡大してライバル企業を打ち負かすことだ。(中略) しかし、創業者は、金銭的負担や個人的な責任を追いかねない段になると、保守的な立場をとることが多い。社会主義者ではないのだ。(p280)
資本主義である、ということはプラットフォームに寄らず日常生活においても様々な面で意識しておく必要があることですが、ここでも同様の力学が働いていることがよくわかります。
これは資本主義が悪いということではなく、そういう仕組みであるから、それ以外の観点による作用を必要に応じて別の仕組みで補わなければならないということだと理解しています。 これが国家による法整備などによって行われていることで、プラットフォームにおいてもそういった統制が必要である、ということが本書のテーマであると自分は感じました。
利便性が先行し素早く世界中に広まったデジタルプラットフォームは、ビジネスであることで実現され、しかしビジネスであるが故に営利企業がその制御権を握っていることで、 近代民主主義国家と違って独裁的なアプローチが可能であるという課題は今も健在していることが示されていると思いました。
本書ではこれらの課題の検証に加えて、どのような対応が考えられるかといった意見も書かれており、非常に興味深い1冊でした。 GAFAMを代表に、インターネットを通じた様々なプラットフォームが広がった今だからこそ、それらの持つ様々な側面を学ぶよい書籍だと思いました。